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流星ワゴン(重松清)

以前より読みたかった本ですが、ようやく手にして読みました。

この話には3組の父子が出てきます。主人公・永田と息子・広樹、永田とその父親・チュウ、それと橋本さんとその息子・健太です。

永田の家庭は、息子・広樹は中学受験に失敗し公立中学で登校拒否になり家庭内暴力をふるうようになり、妻・美代子はテレクラを利用して不倫、自分自身もリストラにあうと言う家庭崩壊状態でした。死んでもいいかなと思った時に、5年前に交通事故で亡くなった橋本さんとその息子・健太が乗るオデッセイに乗っていました。

そのオデッセイがスピードを上げると、今度は自分自身の人生の分岐点で今の自分と同じ年の自分の父親・チュウと出会います。

人生の分岐点
それは、その時には何でもなかった時間と空間でしたが、家庭崩壊の未来を知ってしまったやり直しの永田にとっては重要であると言うことが分かるのです。しかし、そうわかっていても、過去に戻って未来を変えることはできないもどかしさ。

オデッセイに乗っている橋本親子は幽霊だし、永田の父親は病気で今にも死にかけている状態、永田本人も死にたいと思っていると言うことで、このワゴンは死の淵を状態なのかも知れせん。幽霊と出会い、過去にタイムスリップして、若かりし頃の父親と出会うと言う、ある意味、ありえない荒唐無稽な設定ですが、それは全く気になりません。そこに普通に悩む親子がいるからかもしれません。

未来を知った者が過去に戻っても変えることのできない現実、、しかし、それを知らないままでなってしまった現実と、知った上で前向きに対応した現実が、結果は同じでも、実は大きな質の変化生んでいて、それが小さな変化につながっている点は、(幼稚な言葉だけど)すごく感動しました。

先日読んだ本に「ヘーゲルの弁証法」が紹介されていて、それを改めて今大切に思うようになったので、グッドタイミングでした。

ヘーゲルの弁証法って言うのは、ある命題とそれを否定する反対の命題があり、その2つを受け入れて統合した命題があると言うもの(詳しくは知らないけど(笑))

私なりの素人考えでは、たとえば
「facebookがいい」と言ったとしよう。
それに対して、反対の要素「facebookは実名だしプライバシーがないし、時間もとられるし、よくない」という意見があるとします。
その反対意見を受け入れて、それも含めて、それでも「facebookがいい」と言う。

この場合、最初の「facebookがいい」と最後の「facebookがいい」は結果は同じだけど、そのものに内在する質は違うと言うものです。確かにそれは言えますね。

この物語でも、やり直した人生でも、結果はそう簡単には変わらないのです。しかし、未来を知って過去に行った永田は、その過去の経験から今の生き方が変わってくるのです。結果は同じでも生き方の質が変わったのです。

ときどき私たちは質を忘れて量を求めます。短い時間にたくさんのことをやろうとしますし、ビジネスもどんどんスピードアップします。そんな効率化は私も重要だと思います。

その一方で、時間を効率よく活かすと言う発想のみで過ごしたくない時間も持ちたいのも事実です。単位時間あたりにどれだけの仕事をしたかよりも、単位時間当たりのどれだけの感動をしたか、という量より質に、立ち位置を持って生きたいものです。

===
まだ先は長い
長いのだから、こんなところで終わってたまるかと、思う
===
今回の一言でした(^^)

★★★★★☆

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