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ドラッカー名著集11 企業とは何か(P.F.ドラッカー(著),上田 惇生(訳))

7月と8月の課題本は歴書だと思って読むことにしているけど、その第一弾ドラッカーの1946年の著書「企業とは何か」。この本は確か三作目で第二次世界大戦末期のGMの経営を内部から調べ、企業経営成功の要因を探ったもので、この本がその後の現代マネジメントへと続く根源と言ってもいいのでしょうね。

でも、本文は他の本を読んでいるとたいして興味深いものはない(^^;。もちろん書かれた年代を思うとすごすぎるのですが。あえて興味深ったものとして、企業の責務としての「完全雇用」と企業の社会的責任だろうか。

それよりもかなり面白いのが、最後の終章の40ページほど。付録が面白く楽しみっていうのは「学研」以来のことだ。

終章 成功を原因とする失敗エピローグ(1983年)
付録1 1983年版へのまえがき
付録2 1993年版へのまえがき
付録3 2005年日本語版訳へのまえがき

(三大付録つきっていうのかな)

特にこの本の提言に対してGMの3つの反論を書いた終章はすばらしい(^^)反論が素晴らしいということではなく、その記述が今となってはドラッカーの先見性を素晴らしくさらに際立ったものにしているから。

3つの反論とは次のようなもの。

1)GMにとっては経営政策とは原理であって恒久的たるべきもの

 「GMを怒らせたのは、経営政策というものは一時的なものでしかありえず、常に陳腐化の惧れがあるというこの考えそのものだった。」
そうなんですよね。過去の成功体験をいかに捨てられるかは重要な経営政策なんだろうにね。

2)マネジメントの責任を工員に持たせることは工員に負担増をもたらす

 「戦後の従業員関係の基本は、仕事と製品に誇りを持ちたいという従業員の意欲におくべきであり、労働力はコストではなく資源として捉えるべきである旨を提言した」
いまでこそ、こうした意見はよく耳にするけど、これが60年以上も前に唱えられていたということは、なかなか天動説から地動説への移行は難しいものであるということかな。

3)社会的責任などどうして考えついたのか?能力のないことを行うことは責任ではない。無責任である。

 企業は公益にかかわりがあるとし、社会の問題にも関係をもたざるをえない。今なら周辺住民への健康などにかかわる被害を出す企業など1日たりとも存続できない状況である。

このように、今のとなってみればGMの考えがいかに適切じゃないかは理解できるのだけど、当時は無理があったのでしょう。日本の企業が参考にした本書を取り入れられないというのは、成功体験がいかにその後の変化に害を及ぼすかということの証明のようでもあった。


「GMがいかなるものになるにせよ、工場の現場において、今世紀前半の産業の象徴ともいうべき伝統的な組み立てラインが、遅くとも2000年には歴史の彼方に消えていることだけは間違いない」って書かれていたけど、組み立てラインどころか、(ドラッカーさんは亡くなってみることがなかったけど)GMそのものが破綻しちゃったんですけど・・・・。


「1983年版へのまえがき」にはこの本の中で一番気に入った言葉がある。

「いうなればGMは哺乳類における象ないし鯨ということになる。これに対し、明日を担う企業は人間ということになる。象や鯨はその能力の大きな部分を肉体の大きさから得る。人間はそれを頭脳から得る」

「2005年日本語版訳へのまえがき」には、IT革命により知識労働者の主役化をとき、「2020年、30年、今度こそ企業は大きく変わる」と締めている。

★★★☆

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